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by taminamikawa
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「黄城」の」由来
今日の
誕生花は 槿(ムクゲ)、花言葉は“デリケートな愛”、
誕生石は 翡翠(jade)、宝石言葉は“幸運”

母校(小城高)=黄城についてこと改めて考える事もなかったが、同窓会の名称が黄城会となっており、黄城の由来(歴史的意味)を知らない事に気付いた。
調べてみると、すでに「黄城」会報(第21号)平成3年3月発行に掲載されていた。
執筆者であり、この情報を提供してくれた同期(高校10回卒)の黄城会副会長/岩松要輔氏に感謝するとともに会報原稿を下記貼付。

「黄城」の由来
本校の前身、佐賀県立小城中学校の同窓会が「黄城会」として発足したのは明治三十八年八月のことである。
明治四十四年には「黄城会会報」(第1号)を発行し、第五号から題名を「黄城」と改めた。
さて、この「黄城」の由来について「黄城会会報」の編集の辞の中で、「肥前風土記」、「和名類聚抄」の史料から、小城(ヲキ)と黄城の読み方(ワウキ)の発音の近似性を指摘しているが、尚、疑念ありとして後日の研究を待つとしている。
「小城」地名の由来は「肥前風土記」の記事より、大和政権に抵抗していた小城地方の豪族(土蜘蛛)の砦(堡=ヲキ)より、小城の地名ができたとしていることはご存知のことであろう。
小城出身の書家・中林梧竹の号に[堡居士」というものもある。
この小城の地名を江戸時代に文人・学者の間で別の文字で書きあらわすことが行われ、「荻府」という文字が使われている。
例えば「荻府文庫」とか「荻府見聞俚言集」(犬塚市右衛門著)などがある。また、多久の草葉佩川・船山父子と交流のあった厳木浦川内の庄屋秀島寛三郎(鼓渓)は日記の中で小城のことを「荻」と記している。
このような小城の文字の別記の形で「黄城」の文字をあてたので最も早いのは多久の漢学者西鼓岳(賛)の「挽山行」(鼓岳詩鈔)においてである。
この続きはMoreをクッリクしてお読みください。



「挽山行」は小城祇園社(現在の須賀神社)の挽山神事の様子を描いた漢詩である。
冒頭に「黄城牛頭祠、毎歳六月望日、有神会故事」とあり、中ほどに「黄城古祠別伝奇」とあり、二箇所で黄城を使用し、あきらかに小城と読ませている。
牛頭祠とは祇園社のことで、祭神・須佐之男命は仏教での牛頭天王にあたるとされている。
西鼓岳は安政4年(1857年)に55歳で死去している。実業界に活躍した高取伊好(西渓)は鼓岳の甥にあたる。
「荻府」、「荻」、「黄城」はともに「小城」の別記法であったのである。
明治18年3月、小城郡立小城中学校が廃校になり、路頭に迷った生徒達を集め「黄城義塾」を開設したのは草葉船山の高弟/江頭幾三郎(三日月出身)である。
のち江頭は小城町の持永秀貫(桜岡小学校初代校長)・中島健(のちの小城町長)らとともに県立小城中学校設立のため尽力した人物である。江頭は小城中学や佐賀中学で国漢科教師を勤め、私立成美高等女学校の第二代目の校長に就任し、昭和5年に75歳で没している。
黄城会の命名にあたり、「黄城義塾」の名称が大きな影響を与えたものであろうか。
(高校10回卒岩松要輔氏特別寄稿/執筆)
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by taminamikawa | 2007-02-25 19:31 | 黄城会 | TOP
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